1103号室

より気楽に・より豊かになるためのご自愛記録

キーホルダーをつけている人を嫌いになれない

雑記。街を歩いているとリュックの人が増えたなと思う。学生の人も社会人も。以前はカバンが多かったように思う。そしてそのリュックにキーホルダーをつけている人をよく目にする。それを見ると温かい気持ちになる。

どこかに行った時に買った楽しい思い出なのかなとか、友達にもらったのかな、お子さん・お孫さんにもらったものなのかな、あるいはそのキャラクターが好きなのかな、とか。

そういえばガラケー時代はストラップをつけていた。じゃらじゃらつけていた時もあったし、シンプルに一つだけの時もあったし、携帯本体よりでっかいものをつけている時もあった。その中には旅の思い出や単純に気に入ったものや、友達とお揃いの物や、様々な背景があってつけていた。差し引きは自分の気分で行われていて常にその時の気分で選抜していた。

誰かのストラップを見るのも好きだった。「これは何?」と話が弾むしその人のことを少し知ることができる。共通点があると嬉しいし、全く違う価値観でも楽しい。スマホになった今はそれがキーホルダーになったのだろうか。そう考えるとキーホルダーは自己開示の一種なのかもしれない。

 

わたしはシンプルなものが好きだし、いつしか仕事に忙殺されていく中で選抜の楽しさよりも選抜に頭を使う機会を意図的に削減してしまっていた。まあシンプルなものが好きだからいいが、ガラケーに色々つけたり取ったりして自分の気分を推し量る行為は楽しかったし、その物の背景ごと大切に過ごしている感覚が好きだった。だからキーホルダーをつけている人を見るとその頃の感覚を思い出し、また少し羨ましく感じる。

一概にどうとかでは全くないが、自分の好きな物、思い入れがあるものを持ち歩こうという気持ちはとても尊いものだなと思う。またキーホルダーひとつとっても種類もジャンルも多岐に渡る。多様性の文化は素晴らしいものだ。そのキーホルダーをつけている人の気持ちとそもそもの文化が丸っと好きだから、キーホルダーをつけている人を嫌いになれないのかもしれない。本当は一人一人につけている理由と背景を聞きたいところだがあまりにも不審者なのでやめておく。

 

少し休暇を取ってる今、可愛いなと思うものが増えたり、それいいねと思うことが増えた。わたしも久しぶりにキーホルダーをつけてみようかな。その感覚が戻りつつあることはいい傾向なのかもしれない。自分を押し殺して業務に忙殺される日々だったのが、少し自分を大切にしようと思えているのかもしれない。

そもそも自分の持ち物から会社の人に自分のことを推し量られるのが非常に煩わしかった。絶望的な会社の人嫌いだ。ただ今はリモートワークだしそんなとこ気にしなくていい。まあ仮に出社していたとしても瞑想で脳の筋トレをしている今の自分ならそんなこと気にも留めないだろう。わたしが好きだからいいのだ。余計なことを考えずに、気の済むまで自己を開示すればいい。

 

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